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    知的生産の技術


    梅棹忠夫 UMESAO Tadao   民族学、比較文明論

    1920年 京都市生まれ
    1943年 京都大学理学部卒
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    情報の提出

    知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら
    ――情報――を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ。

    P 9

    情報の時代

    くりかえしていうが、今日は情報の時代である。
    <中略>
    個人としても、どのようなことが必要なのか、
    時代とともにくりかえし検討してみることが必要であろう。

    P 15

    個人の行為

    知的生産は、どこまでも個人において行われるものである。
    P 19

    発見と感動

    「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。
    <中略>
    「発見」には、いつでも多少とも
    感動がともなっているものだ。その感動がさめやらぬうちに、
    文章にしてしまわなければ、永久にかけなくなってしまうものである。
    P 29

    記録と忘却

    頭のなかに記憶するのなら、カードにかく必要はない。

    カードにかくのは、そのことをわすれるためである。
    わすれてもかまわないように、カードにかくのである。

    標語ふうにいえば「記憶するかわりに記録する」のである。
    P 54

    知の活用

    くりかえし強調するが、カードは分類することが重要なのではない。

    くりかえしくることがたいせつなのだ。
    いくつかをとりだして、いろいろなくみあわせをつくる。
    それをくりかえせば、何万枚のカードでも、死蔵されることはない。

    P 59

    整理の問題

    加藤秀俊くんの『整理学』(中公新書)というような本があって、
    現代社会における整理学の問題を要領よく教えてくれる。
    P 80
    <備考・参照>

    整理と整頓

    整理は、機能の秩序の問題であり、整頓は、形式の秩序の問題である。
    やってみると、整頓よりも整理のほうが、だいぶんむつかしい。

    たとえば、書斎のなかをきれいに整頓することは
    女中でもできるが、整理することは主人でないとできない。
    P 81

    個体と系統

    生物学に、個体発生は系統発生をくりかえす、という有名な法則がある。
    <中略>
    わたし自身の文書整理の歴史をふりかえってみると、
    それはまさに、世界におけるファイリングの歴史を再現しているようにみえるのである。
    P 86

    四つの場所

    知的生産のために必要な部分空間は、四種類となる。
    仕事場と、「事務所」と、資料庫と、材料おき場である。
    P 93

    秩序と安定

    整理や事務のシステムをととのえるのは、
    「時間」がほしいからでなく、生活の「秩序としずけさ」がほしいからである。
    P 95

    標準的読書論

    もっとも正統派的なのは、小泉信三『読書論』(岩波新書)であろう。
    記述のスタイルは、ややクラシックだけれど、さすがに耳をかたむけるべき内容にみちている。

    P 97

    <備考・参照>

    それぞれの読書法

    大内兵衛・茅誠司他『私の読書法』(岩波新書)が役にたつ。
    P 97
    <備考・参照>

    二重の文脈

    わたしは本をよむのに、じつは二重の文脈でよんでいることになる。
    ひとつは著者の構成した文脈によってであり、もうひとつは、わたし固有の文脈によってである。
    それは、まったくべつのもので、一本にはならない。
    P 112

    啄木とローマ字

    石川啄木がローマ字の日記をつけていたのは有名である。
    岩波版の啄木全集にその全部が収録されているが、簡潔で迫力ある文章である。
    P 129

    普及の手段

    どんないい発明でも、普及の方法がないのである。
    P 133

    形式の利点

    形式が否定されてしまうと、こんどは各人の責任において、
    いきいきした名文をかかねばならなくなったのだ。
    P 152

    観察と記録

    観察と記録との時間のずれは、みじかいほどよろしい。 

    日記と記録とは、なにもべつのものではない。

    記録という作業は、記憶のその欠陥をおぎなうためのものである。
    P 169/170

    日記と自分

    技法や形式の研究なしに、意味のある日記がかきつづけられるほどには、
    「自分」というものは、えらくないのがふつうである。
    P 162

    過去の自分は他人

    「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。

    形式や技法を無視していたのでは、すぐに、
    自分でも何のことがかいてあるのか、わからくなってしまう。

    日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である。
    P 162

    日記の内容

    日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、なにもないのである。

    日記をかくうえに、このことは、かなりたいせつなことだと、わたしはおもう。
    P 163

    経験と進歩

    人生をあゆんでゆくうえで、すべての経験は進歩の材料である。

    とくに、われわれのように、知的生産を業としているものにとっては、
    これはほとんど自明のことである。
    P 174

    日記は業務報告

    日記は、自分自身のための、業務報告なのである。
    P 165

    日記の構成

    文章というものは、基本的には、たぐりだすものではなくて、くみたててゆくものだとおもう。
    P 201

    柔軟な日記

    前からルース・リーフをつかってきた。

    会計帳簿のようなバインダーに、はさんであるが、
    一年分たまると、表紙をつけてとじる。
    <中略>
    かきわすれた日があっても、余白がのこらないから、いっこうに苦にならない。

    普通の日記帳で、しろいページが何枚かできてしまうと、
    それだけでがっかりして、あとをつづける元気がなくなるものだ。
    P 165/166

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    発想法のKJ法

    KJ法については、かれの著者『発想法』(中公新書)をよまれることをおすすめする。

    P 206


    言葉探しの書

    国立国語研究所でつくった『分類語彙表』がある。これは、ことばさがしにたいへん役にたつ。

    P 208


    文章の目的

    今日、すべての人にとって必要な、知的生産のための基礎技術としての文章は、
    ひとに感動をあたえるような、芸術的な文章ではない。

    ものごとと、思想とを、まちがいなく、わかりやすく、ひとに伝達できるような、機能的な文章なのである。
    P 212

    理論の実践

    くりかえしいうが、実行がかんじんである。
    実行しないで、頭で判断して、批判だけしていのたでは、なにごとも進展しない。

    どの技法も、やってみると、それぞれにかなりの努力が必要なことがわかるだろう。
    こういう話に、安直な秘けつはない。自分で努力しなければ、うまくゆくものではない。
    P 216
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    プロフィール

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    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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