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    発想法


    渡部昇一 WATANABE Shoichi  英語学者
    1930年 山形県鶴岡市、生まれ
    1949年 上智大学文学部英文科、入学
    1953年 上智大学文学部英文科、卒業
    1953年 上智大学大学院西洋文化研究科、入学
    1955年 上智大学大学院西洋文化研究科、修士過程卒業
    1955年 上智大学大学院西洋文化研究科、助手任命
    1955年 ドイツ・ミュンスター大学留学
    1958年 ドイツ・ミュンスター大学留学よりDr.Phil(哲学博士号)を受ける。

    イギリス・オックスフォード大学ジーザス・カレッジ寄託研究生となる。

    ※ 以降 頁数は講談社現代新書『発想法』に準拠
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    語学はアイデアの宝庫

    滾滾と湧くアイデアを持った人をしらべてみると、その秘訣は語学にある場合が多い。語学というものは、相当な段階にまで達するならば、その言語を持った民族が作り上げた数世紀、あるいは数十世紀の文化・文明、特に思想・文学という宝庫に通ずる鍵を持ったようなものであって、ちょっとやそっとで種切れになることはなくなるであろう。

    P 124

    『ブリタニカ』第七版とマクヴェイ・ネイピア

    このような歴史をもった『ブリタニカ』を改訂して第七版を作り上げたのが、エジンバラのシグネット・ライブラリイの司書として、また博識な学者として有名だったマクヴェイ・ネイピアであった。彼を中心として、著名な学者や技術者が参加した『ブリタニカ』の第七版二十一巻それに図版が三巻ついて計二十四巻がペリーの黒船来航の約十年前に完成した。

    P 125

    現在も有効である語学という発想の泉

    幕末から維新にかけて、日本の学問のリーダーには、まずは語学で差をつけた人がなった。東京大学の前身が蕃書調所であったことは、その典型的な例として前にも触れたとおりである。しかしそれは今でも友好な発想の泉があり続けているのだ。

    P 127

    外国語の学習=発想の井戸を掘ること

    外国語を読む時間は多くかかかっても、それは発想の井戸を掘っていると考えるべきである。相当の早さで一つの外国語を読めることは、水量豊かな井戸を持つことに連なる、ということは繰り返しておくに値しよう。

    P 140

    40歳までに自信と成果を得る

    ① “自信”
    外国文学者として出発した二人は、四十前に留学を終え、四十前に世界に通用するような学問的な業績を、文献学的な堅固な分野でなしとげている。このため “自信”が生じ、また周囲もそれを知っていた。そのためにその後、好きな分野に関心をひろげることができた。これが一番の湯元ともなる泉である。

    ②四十歳までにいちおうの成果を
    肉体的な条件も考えると、その “自信”に到達するには四十歳前ということが目安である。世阿弥の『風姿花伝』は年齢に応じた努力・研鑽の仕方を教えた貴重な本であるが、その中に、二十四、五から三十二、三頃までは、一生の芸が確立する頃であるという。

    P 159
    <備考・参照>

    世阿弥『風姿花伝』:42歳、43歳までに成功を収めるべし。

    「さるほどに、上るは三十四、五までのことろ、下がるは四十以来なり」とぞっとするような言葉をのべている。世阿弥は十行ばかりの間に、くり返して、四十二、三まで天下に許されていなければ、その後によくなることはないのだ、と言っているのは、実に印象深い。

    P 160
    <備考・参照>

    アメリカ実業界でも四十歳までに成功することが基準となる

    実力主義のアメリカでは、実業界においても、「四十までにいちおうの成功を」ということが強調されていた。ただ漠然と「豊かな学殖」などと言っているだけでは、福原・吉川両博士のようなふうになれる可能性は少ないであろう。

    P 161

    久米邦武『日本古代史と神道との関係』と内藤湖南『近世文学史論』

    全部は読まなかったが、久米邦武博士の『日本古代史と神道との関係』のように、恒久的な影響を受けた本も何冊かある。その中の一冊に内藤湖南の『近世文学史論』があった。

    P 167
    <備考・参照>


    近代デジタルライブラリー:『近世文学史論』内藤虎次郎(湖南)

    個人蔵書は、自分の問題意識に従って並べる

    しかし個人蔵書は自分だけのためであるから、自分の問題意識にしたがって集めておいてよい。和書でも洋書でも、切抜きでも雑誌でも、同じ場所に置ける。そんなのを眺めながら、関係文献を増やしていけば、自然に考えが熟して、無理ない結論が浮いてくるであろう。無理なく到達した結論は読む方にだってわかりやすい。

    P 184

    使わない井戸は涸れる:発想の「泉」と「井戸」=「源泉」と「汲み上げ機」

    井戸の方は、いつも汲み出していないといけない。汲みすぎて涸れたり、泥水がまさることもあろう。これは濫作と言われるものである。しかし概して言えば、汲まなかったために、水が腐って使えなくなってしまった井戸、あるいは汲まなかったために涸れあがった井戸の方が多いと思われる。

    P 191

    使い続けると増える井戸:人間の頭脳の働きも同様

    井戸は不断に、適当に使い続けておけば、いつの間にか水量が増していることさえあるものだ、ということは、やはり人間の頭の働きを考える場合も当てはまることが少なくないであろう。はじめは小論文、小エッセイでも、数週間、数ヵ月の苦労をする。しかしそうした努力を続けているうちに、書く種は尽きずに増えてくることが多いであろう。

    P 193

    情報収集はエントロピー増加の側面もある事に注意する

    情報を集め続けることは、エントロピーの増加していくプロセスだと解釈しうる、ということである。

    ある国の印象記を書くためには、せいぜい最初の一年目で書け、と言われるのはこのためである。

    P 194
    <備考・参照>

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    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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