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    岩崎弥太郎


    立石 優 TATEISHI Yu   歴史小説・ノンフィクション作家
    1935年 大連(現在の中国遼寧省)生まれ
    明治大学文学部卒業
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    母・美和の実兄・小野順吉

    やむなく美和は、こんどは実兄で医者の小野順吉に、弥太郎の教育を頼んだ。小野順吉は、医学を緒方洪庵に、詩文を頼山陽に学んだという知識人である。

    P 14

    母・美和の姉(トキ)の夫・岡本寧浦(おかもと ねいほ)

    岡本寧浦は安田浦(安芸郡)の僧侶の家(乗光寺)に生まれた。名を大年という。大年は成人後、京都へ出て西本願寺の学寮へ入り仏門を志した。ところが芸州広島で頼春水・杏平(頼山陽の父と伯父)に学んだことが契機となり、陽明学に強い関心を抱くことになる。

    P 25

    梁川星巌(やながわ せいがん)

    梁川星巌は美濃の人で、「文は(頼)山陽、詩は星巌」と並び称されるほどの詩人であった。しかしながら並の詩人ではない。憂国の志は高く、彼の家には吉田松陰、横井小楠、西郷吉之助などが出入りするようになるのだ。
    <hr noshade size="1" />P 34

    安積艮斎の塾「見山楼」へ入った岩崎弥太郎

    安積艮斎は岩代国(福島県)郡山の人で、本名は安藤重信という。成果は代々、安積郷の神官であった。安積は江戸の東北(艮)に当たるところから、安積艮斎と号したのである。若くして江戸に遊学、佐藤一斎、林述斎に学んだ。現在は幕府直轄の最高学府である昌平黌の儒員である。儒学者の最高栄誉とされる地位であった。文才にすぐれ、『洋外紀略』などの著書もある。

    P 37

    岩崎弥太郎の知己:五代才助

    五代才助はながさきの海軍伝習所に学んだ。その縁で幕府の貿易調査船・千歳丸で上海へ渡航し、清国を視察することができた。島津久光の密命を受けていた彼は、ドイツ船(天祐丸)を購入して帰国している。慶応元年(1865)には藩を説き伏せて留学生を率い、トーマス・グラバーの斡旋で英国へ渡った。このときフランス公使と協議し、きたるべきパリ万国博覧会に薩摩藩が単独で出展する合意を取り付けた。

    P 120

    四日間の船旅で読んだ書物『西洋事情』

    航海中、弥太郎は書物を読みふけった。福沢諭吉の『西洋事情』である。慶応二年(1866)に出版された『西洋事情』は、静養の政治、経済、文化、軍事などさまざまな事物について解説した事典である。「文明開花」への参考書ともいえるもので、当時のベスト・セラーになった。弥太郎も噂を聞いて、長崎で入手したのであろう。

    P 136

    福沢諭吉『西洋事情』を読んで

    会社の組織や機能について、彼が正確な知識を得たのも、この本からであった。のちに著者の福沢諭吉と岩崎弥太郎は意気投合し、創設時の三菱商会に大量の慶應義塾出身者を採用することになる。

    P 136
    <備考・参照>

    イギリスの商人:ウィリアム・オールトからの情報

    弥太郎はオールトから、「ヘルマン・フルベッキというアメリカ人宣教師が崇徳寺内で英語塾を開いている」と聞いて、さっそく入門した。フルベッキには、大隈重信も教えを受けている。立憲政治の基本を学んだという。しかしまもなく長崎を去る弥太郎には、英語に熟達するほどの時間は残されていなかったのである。

    P 159

    法被と前垂れの着用:商人意識の徹底

    軽輩とはいえ元武士の幹部たちが不満顔をすると、弥太郎は「人に頭を下げると思うな。金に頭を下げると思え」と叱った。官僚的な社風で定評のある郵便蒸汽船会社の逆を行くのである。

    P 202

    台湾出兵の折、大隈重信と岩崎弥太郎の初対面

    大隈は感動し、立ち上がって弥太郎に歩み寄り、強く手を握った。このとき以来、大隈重信は岩崎弥太郎を厚く信頼し、生涯の親交を結んだ。

    数日後、岩崎弥太郎は全社船を挙げて命を奉ずる旨の誓約書を、政府へ提出した。誓約書には、「国家有事の際、私利を顧みず公用を弁ずる」と明記してあった。

    P 214

    越後(新潟県)新発田の町家生まれ・大倉喜八郎

    軍需物資の集荷と陸地輸送は、大倉喜八郎の大倉組が担当した。この大倉喜八郎という人物も、裸一貫から叩き上げた波乱の経歴を持つ。

    P 215
    <備考・参照>

    前島密と岩崎弥太郎の初対面

    大久保の内示を受けた前島は、とりあえず弥太郎に会ってみようと、湯島の岩崎邸へ出かけた。いわば面接試験である。
    郵便事業を創業し、「郵便の父」と呼ばれた前島密は、越後(新潟県)頸城郡下池部村の豪農の家に生まれた。若くして江戸へ遊学し、さらに長崎で英語を学んだ。長崎時代、薩摩藩に招かれ、開成学校で英語を教えたという変わった経歴を持っている。

    P 219

    岩崎弥太郎が布告した社訓・三ヶ条

    岩崎弥太郎は三ヶ条の社訓を作って、社員に布告した。

    一、政治に関与し、一党一派の利益に左右されてはならない。
    一、投機的利益の獲得に走ってはならない。実業の正道を歩め。
    一、中小業者を圧迫してはならない。国益に沿う事業を選定せよ。

    P 229
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    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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