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    葉隠入門


    三島 由紀夫  MISHIMA Yukio     作家
    1925年 東京生まれ
    1947年 東京大学法学部卒業。大蔵省入省後、9カ月で退職、作家活動に専念。
    1949年 『仮面の告白』
    1954年 『潮騒』
    1956年 『金閣寺』
    1965年 『サド侯爵夫人』
    1970年 11月25日・自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。
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    死と生のコントラスト

    毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだということを「葉隠」は主張している。われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいききとした光を放ち出すのを認めざるをえない。

    P 28

    「葉隠」の概要と成立:「葉隠聞書」、「鍋島論語」

    「葉隠聞書」という本は、そもそも座談の筆記である。元禄13年(1700年)佐賀の藩士・山本常朝というひとが、その仕えた主君・鍋島光成(第2代佐賀藩主)が亡くなったあと出家して、人里離れた佐賀の黒土原(くろつちばる)というところに草庵をむすんで隠遁生活にはいった。それから10年後の宝永7年(1710年)の春に、若い佐賀の藩士・田代陣基という人が常朝の草庵を訪ねて、その語るところを筆記して、7年の歳月をかけて11巻に編纂したものを「葉隠聞書」と呼んだわけである。

    P 30

    主体の行動が第一優先される

    第一に行動哲学という点では、「葉隠」はいつも主体を重んじて、主体の作用(はたらき)として行動を置き、行動の帰結として死を置いている。あくまであのれから発して、おのれ以上のものに没入するためのもっとも有効なる行動の規準を述べたものが「葉隠」の哲学である。

    P 34

    生と死の二面性を持つ哲学「葉隠」

    「人間一生誠に纔(わずか)の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚かなることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終(つひ)に語らぬ奥の手なり」(聞書第2・172頁)と言っている。すなわち「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」は第一段階であり、「人間一生誠に纔(わずか)の事なり。好いた事をして暮すべきなり」という理念は、その奥であると同時に奥義であり、第二段階なのである。

    P 36

    高慢と行動のエネルギー

    これが、人間の行動の大きな源泉的な力になっているというところに、常朝は目をつけた。もし謙譲の美徳のみをもって日常をしばれば、その日々の修業のうちから、その修業をのり越えるような激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといい、わが身一身で家を背負わねばならぬということの裏づけである。彼はギリシャ陣のようにヒュブリス(傲慢)というものの、魅惑と光輝とそのおそろしさをよく知っていた。

    P 38

    大思想と小思想

    思想は覚悟である。覚悟は長年にわたって日々確かめられなければならない。常朝は大思想と小思想を分けているように思われる。つまり大思想は平生から準備されて、行動の決断の瞬間にあたっては、おのずから軽々と成就されなければならない。小思想はその時、その時の小事に関する思想である。

    P 47

    エピクロスの哲理

    したがって、エピクロスは、キュレネ学派と同じく、快楽を幸福有得な生活の最高原理としながら、その快楽の目的をアタラクシアに置き、また、この快楽をおびやかす死の不安は、「生きているかぎり死は来ず、死んだときにはわれわれは存在しないから、したがって死を怖れる必要はない」という哲理で解決した。そのようなエピクロスの哲理は、そのまま山本常朝の快楽哲学につながっている。

    P 72

    「葉隠」の説く死と山本常朝の死

    「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かって、われわれの決断を促しているのであるが、同時に、その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たわっている。

    P 86

    自殺と病死と宿命と意思

    しかし、自由意志の極致のあらわれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、ついに自分で選んで選び得なかった宿命の因子が働いている。また、たんなる自然死のように見える病死ですら、そこの病死に運んでいく経過には、自殺に似た、みずから選んだ死であるかのように思われる場合が、けっして少なくない。

    P 87

    毎日、朝夕に死を覚悟することが必要

    とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし死を覚悟することが必要なのである。つねに死を覚悟しているときは、武士道が自分のものとなり、一生誤りなくご奉仕し尽くすことができようというものだ。

    P 100

    相手に意見を伝える時は細心の注意を払う

    意見というのは、まず、その人がそれをうけいれるか否かをよく見分け、相手と親しくなり、こちらのいうことを、いつも信用するような状態にしむけるところからはじめなければならない。そのうえで趣味の方面などからはいって、言い方なども工夫し、時節を考え、あるいは手紙などで、あるいは帰りがけなどに、自分の失敗を話し出したりして、よけいなことは言わなくても思い当たるようにすむけるのがよい。

    P 104

    倹約よりも義理を重んじる

    また、若い人が倹約心などあるのを、よいやりくりであるなどとほめるのは、浅ましいかぎりである。倹約心などのあるものは、けっきょくは義理を欠くことになるにきまっている。義理を忘れるものは、いうまでもなく心いやしく、劣った者である。

    P 126

    水増せば船高し:困難に出会ったら喜ぶべき

    たいへん困難なことに出会っても、気を転倒させないというくらいでは、まだまだ未熟な段階である。大きな変事に出会ったときは、おおいによろこび勇んでつき進むべきである。これはいってみれば、ひとつの段階を越えたところである。「水増せば船高し」(推移が上がれば船は高くなるように、人間も困難にぶつかるたびに大きく成長するものだ)というようなものである。

    P 141

    判断の速さ:七呼吸のあいだに思案せよ

    こだわりなく、さわやかに、凛とした気持ちになっていれば、七呼吸のあいだに判断がつくものだ。落ちついて、ふっきれた気持ちになって思案するのである。

    P 143

    ただこの一念、つまり、ひたすらな思い

    けっきょくのところ重要なのは、現在の一念、つまりひたすらな思いよりほかにはなにもないということである。一念、一念と積みかさねていって、つまりはそれが一生となるのである。このことに思いつきさえすれば、ほかにいそがしいこともなく、さがしもとめることも必要なくなり、ただこの一念、つまり、ひたすらな思いを守って暮らすだけである。

    P 161

    出世のタイミング:周りから催促されるような状況がベスト

    けっきょくのところ、早くてもおそくても、みんなが得心できるようなものであるなら心配はない。みんなから催促されるような形でつかんだときの幸運こそ、本物なのである。

    P 198
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    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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