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    サムライと英語


    明石康 AKASHI Yasushi  元国連事務次長
    1931年、生まれ。秋田県出身。

    東京大学教養学部卒業。
    バージニア大学大学院修了(フルブライト奨学生)。

    1957年、国連入り(日本人として初めて)。
    国連日本政府代表部参事官、公使、大使を歴任。

    カンボジア、旧ユーゴスラビアなどを担当。

    NHK 「英語でしゃべらナイト」
    英語バラエティ教養番組
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    最も古く日本にやってきた英語圏の人物

    記録に残されている限りでは、イギリス人、ウィリアムズ・アダムズ(三浦按針)であった。

    アダムズは、一六〇〇年四月十九日、豊後(大分県)に漂着したオランダ船・リーフデ号に乗船していた。

    時は戦国時代末期、関ヶ原合戦の前夜である。

    P 17

    フェートン号事件と英語教育の指令

    一八〇八年、ひとつの事件が起こり、再びサムライは英語と出会うことになる。

    イギリスの軍艦・フェートン号がオランダ船を装って長崎湾に闖入。奉行の制止を聞かずに上陸し、食料などを強奪していった。

    この事件をきっかけに、一八〇九年、幕府はオランダ通詞(通訳)に英語を学ぶように命じる。

    オランダ商館のボロムホフに頼んで「面名口授(オーラル・メソッド)」による英語教育を開始した。

    抜粋 P 18

    伝統的な祖法である鎖国の重み

    日本には、外国との貿易を制限するいわゆる鎖国の制度がある。

    それは「祖法」すなわち、尊い先祖が決めて、長く受け継がれてきた決め事である。

    その祖法を守るべきだという国内の大名や朝廷にたいして、開国の決断を納得させるのは至難の業である。

    P 43

    堀達之助の手掛けた英和辞書

    黒船来航から九年後の一八六二年、日本ではじめての本格的な英和辞書が印刷・出版された。

    『英和対訳袖珍 辞書』。編纂責任者は、堀達之助である。総語数は三万語に上る。

    P 55

    1862年出版された英和辞書の序文

    チョンマゲ姿のサムライが書き記した文である。

    「世界中の異なるしきたり、習慣や相互関係、そして日常の重要な出来事や変化を知るために、世界中で話されている言葉に対する知識が、いかに欠かせないことか」

    堀のこの言葉は、まさに現代の私たちの英語学習に直結するメッセージにもなっている。

    P 59

    福沢諭吉の継続的な英語学習のための環境つくり

    特に学ぶべきところは、英語学習の環境を「自分の力で」作っている点であろう。

    自分で見つけ出した勉強法は、必ず自分に適したものであるはずだ。

    もっとも、諭吉の時代には教育システムがほとんど皆無だったわけだから、自分で作り出さざるを得なかったのではあるが……。

    P 76

    言葉で表明して初めて、思考となる西洋の認識

    日本では、一を知って十を察するといい、ある程度勘を働かせて相手のことを察するが、

    西洋では言葉にして初めてその人がそう考えているという認識に立つ。

    日本流の「あうんの呼吸」とか「言わずもがな」といったコミュニケーションのあり方は、国が違えば通用しないのだ。

    P 97

    薩摩とイギリスの関係

    薩摩藩はもともと西洋の技術導入・通商開始に積極的な考えを持っていたが、一つの事件をきっかけにイギリスと戦争を起こしてしまう。

    一八六三年(文久三年)の薩英戦争だ。

    前年の生麦事件(イギリス商人リチャードソンが薩摩藩士に斬り殺された事件)で、

    薩摩藩とイギリスとの間で紛争が起こり、翌年、イギリス東洋艦隊七隻が鹿児島に砲撃を加えた。

    薩摩藩もこれに応戦、双方に多くの損害を出し和議に至った。

    これ以後、両者の関係は緊密になった。

    抜粋 P 115/116

    外戦と内戦の犠牲者数の対比

    例えば、アメリカは多数の戦争を経験してきた国だが、

    第二次世界大戦で三一万人あまり、第一次世界大戦で一一万人あまりの戦死者を出しているのに対し、

    南北戦争では両軍あわせて六〇万人以上が戦死している。

    戦後最悪ともいわれたカンボジアの内戦もまたそうだった。


    人間は、近い人ほど一度対立すると憎悪が深いといわれる。

    他国のことであれば、所詮違う存在として割り切れる部分もある。

    しかし自分の隣人が自分と異なる考え方、自分の気に食わない考え方であれば、憎しみは倍増するものらしい。

    抜粋 P125/126

    封建社会から中央集権国家への変革と立役者の相関

    通常、革命というのは、支配階級に対して、被支配階級が立ち上がって社会体制を変えていくものである。

    しかし、明治維新は、サムライたちが中心となって、

    サムライの支配する社会を否定し変革するという、世界史的に見ても珍しい革命だった。

    P 128

    短期的利害と長期的利益

    大久保も自分が断行する改革が、ことに出身母体である
    鹿児島のサムライに不満と苦しみを与えていることに、引き裂かれる思いがあったであろう。

     こうした時に重要な勘が方は、「啓蒙された国益」という概念だ。

    つまり、国連の理念に従って行動すれば、
    当面利害が矛盾しても、長期的には自国の利益に合致してくるという発想だ。

    大久保でいえば、明治政府をうまく軌道にのせ、日本の近代化を速やかに行えば、
    それがひいては鹿児島にもよい結果をもたらすという新年と見通しを持つことである。

    P 152

    ラストサムライ、西郷隆盛の最期

    最後に城山にこもったサムライたちに見守られながら、西郷は自決した。

    「もう、ここらでよか」

    最後にそう言い残したという。

    この西南戦争を最後に、士族の反乱は終止符を打った。

    サムライの時代は、名実ともに終わった。

    黒船来航から二四年後のことだった。

    P 154

    近代の大きな三つの転換期

    一つは明治維新、

    もう一つは一九四五年の第二次世界大戦の敗戦とそれに伴うアメリカの占領下時代、

    そして三つ目が今私たちが直面している激しいグローバリゼーションの時代である。

    今直面する第三の転換期。

    日本は、国境を越えて「ひと」、「もの」、「かね」と「情報」が瞬時に動くこの国際化の波に乗り、変化に対応しようと努力しているものの、決して全ての麺でうまくいっているとはいえない。

    抜粋 P 155

    新渡戸稲造の英語学習の心構え

    「一度習った英語は日常の用務に殊更にしようしてみよ、
    すなわち実地の上に応用復讐してみることにより上達するものだ」

    P 173

    新渡戸稲造の言葉である

    「国や人が国際化、あるいは国際人になるということは、愛国心の延長上にある。自国への愛国心をもたない者は相手の人も国についても正しく理解できず、外国人との間に健全な国際関係は成り立ち得ない」

    P 190

    吉田松陰から高杉晋作への手紙

    「君は問う。男子の死ぬべき所はどこかと。……死は好むものでもなく、また、憎むべきものでもない。世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業をなす見込みあらば、いつまでも生きるべし。人間は、生死を度外視して、何かを成し遂げる心構えこそ大切なのだ」

    よく勘違いされて理解されることが多いが、武士は決して死ぬことを好んだわけでも、死そのものをよしとしたわけでもない。命を賭しても成し遂げる心構えが必要だという方便なのである。

    P 202

    新渡戸の説く、勇気と死

    新渡戸も「勇気」の章で、武士は詩を覚悟しつつも、義のためでない勇気は価値がないと説く。

    「あらゆる危険をおかして命をあやうくし、死に向かって飛び込むことは、しばしば勇気と同一に見られる。このような無謀な行為は、シェークスピアの言う、『勇気の私生児』であって、不当に賛美される。しかし、武士道においては、そうではなかった。死に値しないことのために死ぬのを、『犬死』といって卑しめてきた」

    抜粋 P 202/203

    二つの格言と武士道の理想

    「負けるが勝ち、という有名な格言がある。真の勝利は、暴力的な相手にむやみに抵抗しないという意味だ。また、最善の勝利は血を流さずに得た勝利である、という格言もある。武士道の究極の理想は平和なのである」

    P 209

    日本人の美意識と自然

    新渡戸の時代は、桜といえば主に山桜だった。

    山桜はソメイヨシノに比べ、質素で野山で人知れず咲き、散っていく。

    新渡戸は、この桜、謙虚な心、質素を重んじる精神、
    時の流れを受け入れる潔さ、思いやりの心などを、日本人の美意識の源流であると考えたのであろう。

    P 220

    異なる文化との交流の術

    それぞれの文化に軽重や優劣はない。

    それぞれの特徴、それぞれの長所を互いに認め合い、

    尊重することが、真の異文化コミュニケーションへの早道なのであう。

    P 227
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    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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