FC2ブログ
    1. » 食べて 儲けて 考えて

    2.            

    食べて 儲けて 考えて


    邱永漢 Kyu Eikan  直木賞作家・経営コンサルタント

    1924年 台湾台南市生まれ。父は台湾人実業家。母は久留米生まれの日本人。
    1937年 13歳のとき台北高校尋常科に入学。
    1942年 来日。
    1943年 東京大学経済学部入学。
    1945年 東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。
    1946年 大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営や中学の英語教師や銀行のシンクタンク研究員を経験。
    1948年 台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港に亡命。
    1954年 「密入国者の手記」が山岡荘八や村上元三から激賞され、「大衆文芸」誌で作家デビュー。
    1955年 小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である。
    スポンサーサイト



    三国志演義

    『三国志演義』を読むことをおすすめしたい。およそ人間社会に起こり得ることは、権謀術数も義理人情も喜怒哀楽も、すべてこの本の中に盛りつくされているからである。

    P 20
    <備考・参照>

    ヤクザの語源

    なぜ「八九三」かというと、これは賭博と関係がある。バクチには賽の目と歌留多の二通りがあって、一方を賽事、もう一方を札事という。新井白蛾の『牛馬問』に、「物の悪きをヤクザと云う事は、博奕に三枚というものをするに、八九の数を高目上々として、十とつまるは数に成らず、八九三なれば廿につまる故、益にたたず、それより彼輩のうちにては、すべて物の悪き事の隠語を八九三八九三と云い始めたると也」とある。

    P 70

    拒否反応と老化現象

    不可解な現象がおこった時、拒否反応を示してはいけない。拒否反応は、過去の自分の体験にもたれかかって物を考えるからであり、その姿勢しかとれないことは老化現象といってよいと思う。

    P 134

    株を守って兎を待つ

    昔、百姓が木を切って株だけ残しておいたら、兎がぴょんぴょんとんできて、そこに頭をぶつけて気絶した。思わぬ獲物に狂喜した百姓は、また木を切って株をふやし、兎が再びとんできて頭をぶっつけるのを今か、今かと待っていたそうである。昔、起ったことだから、今後も起るだろうと思うバカのことを、中国では「株を守って兎を待つ」という。

    P 144

    お金の全工程

    お金は儲けただけでは、まだ全工程の半分に達しただけであり、使い終わってはじめて完成品になる。

    P 213

    エッセイの難しさ

    エッセイは小説より難しいぞ、と改めて思い知らされるのである。エッセイは短い文章のなかで、それなりに頭も尻も尾も必要である。物を見る確かな目も、人を感心させたり、おどろかせたりする着想も必要である。生活者としての智恵を持ちあわせているかどうかも、読む人すぐに見透かされてしまう。

    P 222

    邱永漢の本は、洞察の本

    邱永漢の本は、ハウトゥー書の形を装っていても、そのどの一つもハウトゥーではない。すべて、考え方である。物の見方である。物を洞察する心が養われれば、世俗的成功は必ずやってくるものなのである。

    P 228 解説 嵐山光三郎
    Amazon Prime



    title
    tag

    推薦図書 表紙 link デジタルコレクション 便利ツール YouTube 

    Ad



    プロフィール

    bookback

    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

    訪問者数