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    日本を教育した人々


    齋藤孝 SAITO Takashi   教育学、身体論、コミュニケーション技法
    1960年 静岡県生まれ。
    1981年 東京大学教養学部文科一類入学
    1983年 東京大学法学部進学
    1985年 東京大学法学部卒業
    1993年 東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。
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    吉田松陰24歳:獄中での講義

    野山獄というその牢で、囚人たちに教えたのが『孟子』であり、その講義をまとめたものが『講孟箚記』(『講孟余話』)である。『講孟箚記』は孟子に関する講義なので、テキストは古いが、松陰が語っている内容が新しいことにまず驚かされる。彼らが生きている幕末のまさにその時代のことを、生き生きと語っているのだ。
    P 17
    <備考・参照>



    問題意識と課題意識

    大切なのは、現在自分たちがどのような状況に置かれているのかという問題意識と、これから何をすべきかという課題意識を教師が強く持っていて、生徒たちに発することである。つまり問題意識や課題意識を、相手に喚起させることが教育の狙いなのである。
    P 17

    漢学の技術

    松陰は高い日本語の言語能力を有していた。漢学が、なぜ高い日本語の能力と結びつくのか不思議に思われるかもしれないが、ここで勘違いしてはいけないのは、漢学は中国語や中国について勉強するものではなく、中国語を日本語に変換する技術なのだということである。
    P 18

    『留魂録』

    松陰は『留魂録』の第八章で、自らの人生を穀物に例え、短いながらも春夏秋冬を経たのだと言っている。そして人生は長さの問題ではなく、事をなすことが大事なので、十歳で死ぬ者には十歳の四季が、二十歳で死ぬ者には二十歳の四季があるはずだと述べている。
    P 30
    <備考・参照>

    母国語の能力と外国語

    文章の構造を解体して、母国語に変えて表現できる力は母国語の力にほかならない。外国語の習得能力は、母国語の能力に比例する。たとえば母国語能力が百の人が外国語を勉強すると、外国語能力が六十、七十のレベルまで習得できる可能性がある。しかし母国語能力が五十の人が外国語をいくら勉強しても、二十か三十にしかならない。
    P 64

    人に必要な性質の順番(福沢諭吉)

    まず身体が必要で、次に知恵が必要で、第三に情欲、第四に情欲をコントロールする誠の心、第五に事を成す意志を持つことが重要だとしている。その性質を自由自在に取り扱って、独立せよと言っているのだ。
    P 79

    大久保利通の最期と借金

    大久保は亡くなったとき、財産はなく、五百円か五千円かの借金だけを遺したという話がある。それだけをとってみても、彼は当時としては最高の権力者でありながら、少なくとも私利私欲を抜きにして行動した人間であったことがわかる。大久保利通ほどの大物が、死んだ時に借金だけが残ったという話は、何度も顧みられる価値のある事実ではないだろうか。
    P 178
    <備考・参照>



    精神の晴れやかさと広がり

    吉田松陰と高杉晋作を描いた『世に棲む日々』も私は好きな小説だが、吉田松陰が全国を歩き回って思った通りのことをやってしまうのは、どこか晴れやかさがある。司馬遼太郎は精神に晴れやかさと広がりのある、外を向いた人間が好きだった。
    P 183
    <備考・参照>

    世界の中での、日本の位置というもの

    司馬遼太郎は、勝海舟が世界の中での日本の位置をいち早く察知しした天才であって、「日本国」の発見者であるという言い方をしている。

    当時は誰もが藩の単位でしか見られなかったものを、勝は「日本国」という一国全体のレベルで看破していたからだ。
    P 186
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    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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