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    財運はこうしてつかめ


    渡部昇一 WATANABE Shoichi  英語学者

    1930年 山形県鶴岡市、生まれ
    1949年 上智大学文学部英文科、入学
    1953年 上智大学文学部英文科、卒業
    1953年 上智大学大学院西洋文化研究科、入学
    1955年 上智大学大学院西洋文化研究科、修士過程卒業
    1955年 上智大学大学院西洋文化研究科、助手任命
    1955年 ドイツ・ミュンスター大学留学
    1958年 ドイツ・ミュンスター大学留学よりDr.Phil(哲学博士号)を受ける。

    イギリス・オックスフォード大学ジーザス・カレッジ寄託研究生となる。


    本多静六 HONDA Seiroku   大学教授・林学博士
    1866年 埼玉県生まれ。
    1884年 東京山林学校(現東京大学農学部)に末席で入学。
    1886年 東京山林学校廃止にともない、東京農林学校予科3年に編入学。
    1887年 帝国大学農科大学が発足し、本科生に進級。
    1890年 首席で卒業。本多家の養子となる。ドイツへ留学。ターランド山林学校(ドレスデン工科大学林学部)、ミュンヘン大学に学ぶ。経済学の博士号取得。
    1893年 帝国大学農科大学の助教授に就任。
    1894年 東京専門学校(早稲田大学)の講師に就任。
    1899年 学位林学博士を取得。論文は『森林植物帯論』。
    1899年 水源林の保護と育成を東京市および東京府に進言。
    1900年 東京帝国大学農科大学(東京大学農学部)の教授に就任。
    1901年 日比谷公園の設計調査委員に就任。
    1902年 鉱毒調査委員を委嘱
    1915年 明治神宮造営局の参与に就任。
    1919年 社団法人帝国山林会を創立
    1930年 国立公園調査会の委員に就任。所有していた山林(秩父郡大滝村、現秩父市、約2700ha)を埼玉県へ寄贈。
    1938年 東照宮300年祭記念調査会の委員長に就任。
    1952年 逝去
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    三冊の恩書

    カール・ヒルティの『幸福論』、アレキシス・カレルの『人間――この未知なるもの』、幸田露伴の『努力論』などはいずれも私の恩書である。

    P 1
    <備考・参照>



    孟子:恒産なくして恒心なし

    孟子が2300年ほど前に「恒産なくして恒心なし」と喝破したとおり、経済的安定がなければ、心の安定も得られにくい。また志を全うすることもむずかしい。これが世の現実ではないだろうか。

    P 24

    貧乏征伐

    「自分から積極的に貧乏を征伐する覚悟を持たないかぎり、何も変わらない」と書いておられるが、私も「学者だから貧乏なのはしょうがない」と考えるのは止めにした。そして、博士の言う「貧乏征伐」を行なうしたことにしたのである。

    P 35

    経済学者の小室直樹氏の見解

    今やコンピュータなどの発達によって、世界中の国境が低くなった。古くさいと思われていたアダム・スミスの思想の意味が、ようやく分かる時代になってきたのである

    P 44

    思考を止め、実行する

    「あれこれ考えるのを止めないかぎり、蓄財はできない」という現実的助言が書かれているという点だけ取ってみても、この『財産告白』は大きな価値を持っていると私には思われるのである。

    P 51
    <備考・参照>

    短期の値上がりを期待する株の場合

    博士は買ったときの価格から二割値上がりすれば、すぐに売ってしまう。もう少し持っていれば、さらに値上がりするのではないかなどとは思わず、一律に売ってしまうのである。そして、その利益はそっくり定期預金に入れる。株で儲けた金を使って、さらに株で儲けようと思わないのが、博士の堅実なところである。

    P 59

    長期保有の株の場合

    買ったときの株価の二倍になるまで手を付けない。そして、二倍になったところで半分だけ売る。このような方法を採っておられた。

    実は、私がわずか二年そこそこで家を建てられるほどの資産を作ることができたのは、この本多博士の株投資を私なりの解釈で実践していたからであった。

    P 60

    投資とリスクと貯金と生活

    投資は貯金と違って、リスクを伴うものである。失敗して元金をすべて失うこともけっして珍しくはない。だから、たとえ投資した金がゼロになったところで、毎日の生活にはさほど響かないというレベルでとどめておくべきなのである。

    P 61

    相場の神様:山崎種二

    本多博士は昭和27年、享年86歳でなくなるのだが、その通夜に「相場の神様」と言われた山種証券の創業者・山崎種二氏が現れ、通夜の間中、瞑目していたという。

    P 61

    利殖の至言

    「お金というものは雪だるまのようなものである。初めのうちはほんの小さな玉であっても、しっかりした芯ができれば、あとは面白いようにどんどん大きくなるものである。これは誰がやっても同じことである」

    「お金のあるところには、またいろいろと知恵が湧いてくる。そして、ますます面白い投資先が考えられるようになる。こうなると、すべては独りで動き出し、やたらに金が増えて増えて、我ながら驚かされた」

    抜粋 P 62

    暗記力こそ知力のもと

    故・岡潔博士(1901-1978)は関数論の分野で世界的業績を収め、文化勲章を与えられた方だが、その岡博士は生前「若いころには血反吐を吐くぐらい暗記しないと頭は伸びない」という主旨のことを語られておられて印象的だった。

    P 82

    エキス勉強法

    学校で習ったことの中で最も重要なところを要約し、別紙に書き出す。試験前になると、そのメモをポケットに入れ、暗記しながら散歩をするという方法である。習った直後に要約を作れば、それだけでもある程度、記憶に残るというものである。そして、さらに試験前に暗記し直すわけだから、いっそう知識が身に付く。

    P 97

    チャンスは即座に掴む

    本多博士は著書のなかでしばしば「機会は前髪でつかまなければならない」と記されている。運命の神の頭には前髪しか生えていない。だから幸運を得ようと思えば、その前髪をつかむしかないと昔から西洋では言われている。

    ローマのフェエドルスもこう言う。「チャンスは前頭部には髪があるが、後頭部は禿だ。それを捕まえたら離すな。一度逃げたチャンスはジュピターの神も捕まえることができないのだ」

    P 129

    三つの解答

    単に問題を解くだけではなく、積極的、消極的、折衷的の三通りの解答を作り、それを先生に見てもらうのである。

    P 138

    人生論を読む時の注意

    その人が得た人生訓には、それに気付くまでのプロセスや前提がある。それを無視して、結論だけを導入しようとすると、思わぬ怪我をしてしまうことになりかねない。

    P 193

    「あと、もう一歩」という大きな差

    「最後の五分間の度力を惜しんで、九仞の功を一簣に虧くことのないよう、迷うことなく行に励め」

    P 209

    仕事は面白いものであるという確信を持つ

    世間一般には、職業は辛い、仕事は楽しくないという観念が蔓延している。だが、仕事とは面白いものであるという確信を持って進むことが必要である。真面目に努力を続けていれば、かならず面白くなる――ヒルティ、そして本多博士が体得した、この真理をぜひ覚え、実践していただきたいと思う。

    P 211

    相談事は金持ちにしたほうがいい

    これは私自身にも経験のあることだ。金銭に関する相談はことにそうだが、人生の相談をするときには、やはり豊かな人に尋ねたほうが実のある回答が返ってくるのではないか。

    P 232

    本多博士の人生計画表

    博士は満二十五歳、ドイツから帰国したころに「人生計画表」を作った。すなわち人生を四つの時期に分け、「四十までは勤倹貯蓄で生活安定の基礎を築く。六十までは勉学に専心し、七十までは社会、国家にお礼奉公をする。それ以降は山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽隠居をする」という計画であった。

    この人生計画を博士は楽々と実現した。

    P 234

    七つの成功への近道

    一、つねに心を快活にもつ――楽天主義
    二、忠実にその業に励む――職業の道楽化
    三、功は人に譲り、責は自ら負う
    四、善を賞し、悪を問わず
    五、好機はいやしくもこれを逸せぬこと
    六、勤倹貯蓄――四分の一貯金の実行
    七、人事を尽くして天命(時節)を待つ

    P 244
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    Author:bookback
    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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